立花宗茂は、豊臣秀吉から「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と称賛された豪傑です。
東の本多忠勝とは徳川家康の家臣で、57回の戦いで一度も怪我をしなかったという猛将。この怪物と比較されて並び立つ傑物が立花宗茂でした。
立花宗茂は、落ちぶれつつあった大友氏を支えたふたりの名将として、風神と称えられ、秀吉からはこと戦国の華と称えられた高橋紹運を父とし、雷神と畏怖された立花道雪に育てられます。
立花宗茂は、戦術眼の鋭さは周囲からはいつも評され、彼が出陣した戦いで負けたことは一度もありませんでした。豊臣秀吉は立花宗茂を「西国一」と評し、徳川家康は「あの上杉謙信や武田信玄と同等の器」と絶賛したともいわれています。天下分け目の関ケ原では、義を重んじ西軍についたことでその後浪人となりますが、その傑物ぶりは江戸幕府の時代となり本田忠勝によって推挙され、宗茂の実力をよく知っていた将軍・徳川家康から幕府の御書院番頭(将軍の親衛隊長)として5,000石を給され、まもなく嫡男の徳川秀忠の御伽衆に列せられ、慶長11年(1606年)、陸奥棚倉(南郷)に1万石を与えられて大名として復帰しています。そして元和6年(1620年)、幕府から旧領の筑後柳川10万9,200石を与えられ、関ヶ原に西軍として参戦し、浪人となり苦労を味わうが、一度改易されてから旧領に復帰を果たした、唯一の大名となっています。
★九州・太宰府に住む歴史好きの私にとって、紹運、宗茂二代にわたる、義と愛にもあふれるその姿はまさしくは、まさに憧れの傑物。ヒーローであります。

この場をお借りして、卒爾ながら、初登場と御礼のご挨拶を。
「今年一年ありがとうございました。拙いながらも、「ヲタの迷走ぶろぐ城」「愛の抜けた映画ブログ」ともに、統括管理のmodelistmaroより熱く御礼申し上げます。よいお年を…」



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